人と人の心をつなぐ重要な役割を持つ “言葉”。その言葉に対する意識の大切さを、私(筆者)はアメリカ留学を通して学びました。そしてその発見が、日常生活の会話をより豊かなものにしてくれました。今回は、その海外生活を通して学んだ大事な大事な「言葉への意識」をみなさんにご紹介したいと思います。

・心のこもった「いただきます」
アメリカの大学で日本語を勉強している現地の学生3人と、食堂でお昼ご飯を食べた時のことです。彼らはスプーン・フォークを手に取る前に、きちんと手のひらを合わせ、とても丁寧に「いただきます」と日本語で言いました。そして日本の文化に敬意を払うかのように、深々と礼をし、食事を始めたのです。

正直、驚きました。そして自分がすごく恥ずかしくなりました。なぜなら日本人である私より彼らの方が「いただきます」「ごちそうさまでした」という言葉を大切にし、さらにそこに、きちんと感謝の気持ちを込めているのが伝わってきたからです。

また彼らは、日本人にとってすら難しい敬語を話す時、一語一語に細心の注意を払って話します。それでも敬語は複雑な表現方法であるため、間違えてしまうことはありますが、日本語を一生懸命話そうとする彼らの姿勢を見ていると、十分すぎるぐらいこっちに敬意が伝わってきます。そしてこういった彼らの日本語に対する意識を見ていると、自分がいかに日本語を “何気なく” 話しているのかが痛感させられます。

・なぜ片言の英語は通じるのか
しかしその一方で、自分が日本語ではなく英語を話す時は、彼らが意識しているように一語一語の言葉を丁寧に発音しますし、言いたいことが伝わっているのか不安なため相手の反応にとても注意を払います。

つまり人は普段使い慣れていない外国語を話す時、相手に自分の気持ちを伝えようと必死になるのです。この時に強くなる言葉への意識が、人とのコミュニケーションにおいて非常に大切であり、母国語である日本語を話している時に忘れがちなことです。

旅行先で困った時、または自分がしたいことを伝えたい時に、片言の英語でネイティブ相手に通じるのも、その時に生まれる “言葉への意識” つまり “言葉を通して自分の気持ちを伝えようする意識” のおかげだと私は思っています。

海外の日本語学生から学んだ言葉への意識の大切さ。みなさんも外国語だけではなく日本語を話す時も、ぜひ自分の言葉一語一語を意識ながら話してみてください。すると、今まで何気なくしていた会話が、より円滑に、そしてより楽しいものになってきますよ!

(文=パン太)