もうすぐお花見シーズン! 今年はどこの桜を楽しむ予定ですか。なかには青森県の「弘前城公園」、石川県の「兼六園(金沢城)」、大阪の「大阪城公園」、兵庫県の「姫路城」など、お城の桜を楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。

お城には桜がよく似合いますが、お城が桜の名所になったのには、ちょっぴり悲しい理由があることを知っていますか。

今月発売された日本城郭検定の公式参考書「よくわかる日本の城」に、お城の歴史から構造から驚きのトリビアまで、興味深い情報がたっぷり収められているのですが、その中に答えがありました。

【お城に桜が植えられたのは……】

桜の名所に選ばれているお城は全国にたくさんありますが、実はお城に桜が植えられたのは明治以降のこと。1873(明治6)年の廃城令で大半のお城が取り壊され、廃城処分で民間などに払い下げられた際、市民に公園として開放されるようになって、桜が植えられたケースが多いのだそうです。

【そもそもお城に樹木はなかった!?】

では江戸時代まではどうだったかというと、そもそもお城に樹木は植えられていなかったそう。なぜならお城が攻められた際、樹木は視界をさえぎり、敵にとっては絶交の隠れ場所になってしまうから。江戸時代に幕府の指示で描かれた城の絵を見ても、樹木が確認されるお城はほとんどなく、あってもほんの数本。それも万が一のときに食糧や薬、燃料になる松、椎の木などだったそうなんです。

というわけで、お城が桜の名所になったのは、明治時代の廃城令がきっかけだったというわけです。桜は栄華の象徴のように思えますが、実は本来の城としての役目が終わってから植えられるようになったと思うと、なんだか少しさびしいですね。

【姫路城の天守が23円50銭!?】

もう一つお城トリビアをご紹介。お城はかつて全国に3~4万あったといわれ、築城・改築・破棄が繰り返されてきました。特に徳川家康は徹底していて、1615(慶長20)年の一国一城令で95%のお城を破却し、当時3000あったお城は170ほどに。そして明治時代の廃城令で大半が取り壊されました。

なかには民間などに払い下げられたりしたのですが、姫路城の天守ですら23円50銭という安値で落札されたそうです。調べたところ、この金額を現代に換算すると約10万円ほどだとか。姫路城といえば、その美しい姿から「白鷺城」の名前で親しまれ、世界文化遺産、国宝でもありますが、こんな切ない歴史があったんですね。

思わず「へぇボタン」を押したくなるトリビア満載の「よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書」は、税別1800円で発売中です。お城にお花見に行く前に目をとおしてみてはいかが!?

参照元:プレスリリース
執筆=シナモン / 画像=Pouch (c)Pouch

▼縄文・弥生時代の集落

▼お城の構造

▼ひと目でわかるお城の年表も