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最近ドラマ等でも話題になっている「ママカースト」。これは、インドのカースト制度(ヒンズー教における身分制度)にならった言葉で、ママ間の格付けのこと。

公園、幼稚園、小学校、マンションなど……ママ達が集結する場所で形成されることが多いのだといいます。

その格付けの基準になるのは、身につけている服、時計、アクセサリー、靴、バッグ、容姿(手入れされているかどうか)、子供の成績、子供の進学先、夫の学歴、ママの学歴、言葉遣いなどなど多岐にわたりますが、何より重要なのが「住んでいる住所」と「夫の職業」なのだとか。

記者(私)は仕事柄家に引きこもっていることが多く、娘達は保育園と公立小学校に通わせていたし、住んでいるのもお笑い芸人が多い庶民的な街。だからママカーストの存在を感じたこともなければ、被害に遭ったこともありません。

だいたい、友人や自分をランク付けするっていう発想自体が意味不明。正直言って、テレビやネットでママカーストの話題が出るたびに「こんなのメディアが作り上げた世界でしょ、ありえないよ」とせせら笑っていました。

が、軽くネットで調べてみると……経験談が出てくるわ、出てくるわ。そういう話がネット上にはてんこもりだということが判明。えっ!! 本当に、ママカーストって存在するの?

【セレブママに聞いてみた】

実態を知るべく、記者の友人Aに聞いてみました。渋谷区在住の彼女は、いつも高そうな物を身につけている、絵に描いたような超セレブママ(本人はものすごく気さくでユーモア溢れる素敵な女性です)。彼女ならきっと経験があるはずと思い「本当にママカーストってあるの?」とたずねてみると、目から鱗の返事が返ってきたのでした。

本人の捉え方次第なんじゃないかな

ガツーン。そ、そうか……

【個々の「違い」は存在する】

たくさんの人がいれば、たくさんの人生があります。お金の有無、容姿の違い、学歴の違い、高層マンションの上層に住んでいるか低層に住んでいるか、どんな地域に住んでいるか、人を惹きつけるか遠ざけるか、大きいか小さいか。数え上げればきりがないけれど、これらの「違い」は社会に必ず存在するわけです。ただしそれを基準に「人間」を仕分けするのは意味のないことだし、野蛮すぎる。っていうか、バカなんかじゃないかと思っていました。

【同じ傾向の友達を作ることは悪くない】

けれど、自分の生活レベルに合った人と付き合えばお互いに無理をしないで楽しい時間を過ごせることも事実。たとえば、ファミレス好きのママとファミレスは体に悪いと嫌うママが一緒にランチをするのは大変。自分に合いそうな人を相手の持ち物や話し方などから推測して判断し自分にあう友達グループを作るというのは悪くいことではないし、ママ達だけに限らず現代社会のあちらこちらで普通に行われていること。

それをママカーストと感じる人もいれば、ただ気の合う友達と仲良くなっているだけと感じる人もいるのです。

夫の職業別にママ達をランク付けしたい人は、そういう人が集まってひとつのグループを形成すればいい。ひとつの基準を設けて人をランク付けし「自分がトップでもない代わりに自分の下にも誰かがいるという事を確認する」という作業は、人間の本能的欲求にもピッタリ合うもので、のめり込めば楽しいのかもしれない。いっそみんなで統計学なども学んでしまえば知識も増えて一石二鳥、なのでしょう。

高級品が好きなママ、ジャニオタのママ、DIY好きのママ、お酒が好きなママ、うわさ話が好きなママ、映画が好きなママ…… みんなが趣味の合う人同士で仲良しグループを作ればいい。みんなが自分の居場所を楽しめればそれでいい。気の合う人がいなければひとりでいればいい。それをあそこは上層のグループ、こっちは下層のグループなどとランク付けするママカースト主義者の人がいても、それはそういう趣味の人だから放っておくしかありません。趣味だから

もしひとつの小さなグループの中で、夫の収入やその他の違いによって上下関係が作られて、ボスの言うことを聞かないとやっていけないような状況に陥ってしまった場合には、そしてその状況が嫌なら(そんな状況が好きな人もいる)、そこから抜け出す勇気を持ってほしいのです。そこはあなたが望むグループではないのだから。仕事をしたり、師匠になれるかもしれないレベルで習い事に励んだりすると意外と簡単に抜けられることが多いらしいし。

【自由で楽しいのが一番】

個々の「違い」をランクの上下に見立ててママカーストが存在すると考えるかどうかは、各人の捉え方次第。でもそんな言葉の魔術に振り回されて一喜一憂するよりも、自分に合った自由で楽しいママ生活を送った方が100倍楽しいよね、きっと。

画像=ぱくたそ
執筆=南野バンビ (c)Pouch