あなたはあの世の入り口が存在するのをご存知でしょうか? その地は人影の少ない山のなかにあり、まるで時間に取り残されたようにヒッソリとしています。それが暖かい春であれ、冷たい風が吹き荒む冬であれ、ただただ静かな場所です。
神話の国島根県の東出雲町、人口わずか1万5000人のこの町に「黄泉比良坂(よもつひらさか)」と呼ばれる場所があります。ここは古事記にも日本書紀にも記されている死者の世界、つまりあの世の入り口なのです。
島根県と言えば、八百万(やおよろず)の神が集う出雲大社や、世界遺産に登録された石見銀山が有名です。それらと比して、黄泉比良坂はあまり知られている場所ではありません。なぜなら、町をあげて大々的に宣伝しているような場所ではないからです。もしかしたら地元島根でも、訪れたことがないという人が多いのかもしれません。
・ あまりにも目立たない場所
目ぼしい看板はなく、最寄の国道9号線にやや大きめの看板がひとつあるだけ。そこから小道に入ると、古びた倉庫にまたひとつ看板があるだけです。目的地にたどり着くと、「ここがあの世の入り口?」と驚くでしょう。いくつかの石碑と大きな岩があるだけですから。しかし、その岩に近づいてみると、どこかしらから冷気が漂ってくるように感じるのです。
・ 黄泉の入り口のまつわる神話
この地にまつわる神話をご紹介しましょう。古事記によると、日本を生んだイザナミ(伊邪那美命:女神)は、火の神ヒノカグツチ(火之迦具土神)を生む際に陰部を焼かれて命を落とします。夫のイザナギ(伊邪那岐命)は比婆山にイザナミを葬るのですが、死後も恋しく思い黄泉の国(あの世)へイザナミを迎えに行くのでした。
しかしイザナミは、黄泉神に相談なくして帰ることができず、掛け合う間に自分の姿を見ないようイザナギに伝えました。待ちきれなかったイザナギはこの約束を破り、イザナミの姿を見てしまうのです。そこには体にウジが湧き、見返すことのできない屍と化した妻の姿があったのです。
恐ろしくなったイザナミは慌てて逃げ出し、その後をイザナミは黄泉の鬼女ヨモツシコメ(黄泉醜女)と共に追いかけていきました。
・ 大岩と桃の木
ヨモツシコメの気をそらすために桃の実を投げつけ、追っ手をなんとか振り切ったイザナミは、その場に大岩を置いて入り口をふさぎました。かくして、黄泉の入り口には、今も大岩がありその傍らに桃の木が立っているのです。この2つはそれぞれ「道反の大神」(ちがえしのおおかみ:大岩)と「意富加牟豆美命」(おおかむつみのみこと:桃の木)という神名を賜っています。
・ 大岩は日本最初の墓石
また、道反の大神は「千引石」(ちびきいわ)とも呼ばれており、実はこれが日本で最初の墓石とも考えられているそうです。もしかしたら、イザナギがイザナミを弔うために岩を置いたのかもしれませんね。
観光をするにはまだ時期的に早いのですが、この春山陰を訪れる予定のある方は、黄泉比良坂を訪ねてみるのも良いでしょう。
(文、写真=佐藤英典)
▼ とても目立たない場所に看板がある
▼ 坂を上ると小さな駐車場が
▼ これが道反の大神(千引石)
▼ そしてヨモツシコメをはらった意富加牟豆美命(桃の木)
▼ 昭和15年に建てられた石碑
▼ すぐそばの池は静かに水を携えている