今をさかのぼること100年前、アメリカの音楽界に驚くべき人物がいました。後に「騒音の歌姫」とあだ名されるほど、ものすごく歌が下手なソプラノ歌手、フローレンス・フォスター・ジェンキンス(Florence Foster Jenkins)その人です。
彼女はリズムはおろか音程もろくに取れず、発声もからきしダメ。にもかかわらず人前で歌い続け、晩年には名門中の名門、カーネギー・ホールでリサイタルを成功させたという伝説の歌手! 今回は、彼女のユニークな人生をご紹介いたします。
■”不遇時代”
彼女の生まれは1868年、米ペンシルヴァニア州。幼い頃から音楽教育を受け、海外留学を熱望していました。
ところが、そのあまりの才能のなさに父親がまずウンザリ。出費を拒否された彼女は、恋仲の若者フランク・ジェンキンスと駆け落ち婚。しかし夫にもウンザリされ、1902年に離婚。独り身となった彼女は、町のピアノ教師としてささやかな音楽生活を始めます。
■訪れた転機
1909年に訪れた転機、それは父親の死と莫大な遺産の相続でした。迷わず全て音楽につぎ込み、本格的な歌のレッスンを受けます。音楽団体へも多額の寄付をし、自ら設立した愛好家団体で地歩を固めた1912年、ついに念願の初リサイタルを開くことに成功!
招待された批評家たちからは、もちろん酷評の嵐。非常に残念な歌の実力に加え、天使の羽まで付いた自前のキンキラ衣装や、聴衆に花を投げる大げさなパフォーマンスなど、そのどれもが「悪趣味だ!」とさんざん。
■それでも揺るぎない ”自信”
普通ならここらで失意に沈むところですが、彼女は自分を「偉大な音楽家」であると確信し、批判はすべて「職業的な嫉妬」と取り合わなかったというからスゴイです。逆にあまりの悪評が噂を呼び、大衆は興味津々! 定期的な内輪のリサイタルは大人気を博します。
■伝説のカーネギー・ホール公演
自信をつのらせた彼女は、活動の場をNYへ! やがて周囲の声にも押され、ついに音楽の殿堂カーネギー・ホールでリサイタルを開催。チケットは数週間前に売り切れるほどの大盛況だったとか。でもやっぱり、翌日の紙面では ”期待どおり” 酷評の嵐が吹き荒れました。
そのひと月後、76歳で彼女は亡くなったそうです。失意のために亡くなったという声もありますが、「幸せのうちにその音楽人生を終えた」という見方が一般的です。
■彼女の残したモノ
彼女の歌声は、今も販売されているCDやMP3で聴くことができます。レパートリーは、モーツァルトやヴェルディなど、全て彼女の歌唱能力を大きく上回る曲ばかり。当時、1テイク目を終えた後に「もう一回録ります……よね?」と恐る恐るたずねる録音技師に、「結構よ、今のでカンペキだから。」とにこやかに答えたとか。
「皆さん私が歌えないとおっしゃるけれど、私が歌わなかったと言った人はいませんわ」
批判をものともせず、そう語ったという彼女。自分の夢を全うしたこの女性を皆さんはどう感じるでしょうか?
(文=黒澤くの)
参照元:thedailybeast.com、maxbass.com