「え、そういう曲、聴くんですね」
言葉のうしろに、「(笑)」が透けて見えたような気がした。
帰り際、エレベーターホールでのことだった。
遭遇した同僚に、何聴いてるんですか、と無邪気にたずねられ、正直に答えるべきではなかったと少しだけ後悔した。
そうなんですよ、ちょっと古いですよねえ、と自虐するように笑う。
みぞおちのあたりが、きゅっと絞められるような感覚が苦しい。
好きなものを好きだと、言葉にするのが怖くなったのはいつからだろう。
否定されるのが怖い。笑われるのが怖い。
流行りの服。音楽。テレビ番組。周りの会話に入るための、ビジネス的な「好き」は、呪いのようにすこしずつ私の首に巻き付いて、私の心が、感性が、窒息しそうになる。
理解しあえない他人が嫌いだ。 同調の圧力が嫌いだ。
でも、胸を張って好きだと言えない、弱い自分が一番嫌いだ。
そんなやりとりがあったせいだろうか。
今日は、誰にも会いたくない。そんな気分だった。
最寄り駅の2駅手前で降りて、繁華街から一本逸れた人気のない住宅街を歩き進める。
やがて見えてくる、月も星もない夜の曇り空にぼんやりとそびえる白い煙突。少し不気味で、孤独で、でも今の私にはそれが救いのようにも感じるのだった。
仄暗く音のないサウナ室は、湿った古い木の匂いで満ちている。低い天井に頭をぶつけないように、気を付けながら2段目にすべりこんだ。
地元の常連客しか来ないような、古くて小さな銭湯。
ひとに話すと「好き嫌いがわかれるかもね」と言われたものだ。それでも、私はここが好きだった。
狭い空間でひざを抱えて、小さく丸くなる。まるで秘密基地だ。
古いサウナ室は、都内の女性サウナには珍しく 100度をこえるときもある。水風呂は地下水を使っていて、肌当たりが柔らかくて気持ちいい。サウナ室の薄暗さも、天井の低さも、私にはちょうどよく、そのすべてが愛おしい。でもその「好き」は、私だけわかっていればいい。
強くはなれない。変われない。否定されるのは、やっぱり怖い。
でも、こうして自分の「好き」をひとり守って、たまに確かめる時間と場所があればいい。