変わらない平凡な日常を愛していた。
いつもと同じ満員電車に揺られ、毎日同じ景色を見る。淡々と仕事を終わらせ、朝起きたらまた1日がはじまる。「何もない」のは何よりも良いことのはずで、少しだけ自分に刺激を与えたサウナの存在も、このところ「いつものサウナ」ができたことで、すっかり日常になじんでいた。
なのに、どうしてだろう。
年末特有のうわついた空気、そして定時を少し過ぎた金曜日のにぎやかなオフィスで、私の時間だけがここに留まって澱んでしまっているような、漠然とした違和感。
この感情には、覚えがあった。
そう、あれは初めてサウナに入った夜。
変わらない毎日、みじめな自分が嫌になって、その扉に手を伸ばしたのだった。
にぎやかな世界で、自分ひとりどこかに取り残されたような寂しさ。変わりたいなんて思わない、でも、あのときみたいに、ほんの少し新しくなった空気がほしい。
ああ、そうだ。サウナ、いこう。
今日は、いつもとは違う場所に行きたい。少しだけ遠い、はじめての駅で降りる。
スマホの地図をたよりに暗い線路沿いを歩くと、コンビニの角をまがった奥に、ぼんやりと浮かぶ青い光が私を待っていた。
「初めて訪れるサウナ」はこんなにもわくわくするものだったっけ。五感が急に、働きだすのを感じる。いつもより丁寧に身体を洗いあげて、あたたかな光が漏れるサウナ室にそっと手を伸ばした。
乾いたストーブの音。だれかの溜息。汗と肌が擦れる湿った音。交わらないけど、たしかにそこにある人の気配は妙に安心する。乾燥した熱がひりひりと肌を刺し、やがてにじんできた汗に包まれて、肌にあたる熱はすこしだけ優しくなる。
時計ばかり気にしていた頃もあったけれど、今ではもうほとんど時計を見ない。
あたたまりづらい場所、膝の裏のあたりやつまさきまで熱がいきわたったら、水風呂に向かう頃合いだ。地下水を汲み上げた水風呂は、肌にやわらかい。ひとりぶんの狭さの水風呂で、うっとりと「地球の水」を堪能する。
ふと顔をあげると、水風呂に水を吐き出している壁のライオンと、目が合った気がした。
毎日、ただ淡々と水を吐いて、ひとりで。
寂しくないか。虚しくないか。
わたしはすこしだけ、寂しかった。すこしだけ、虚しかった。すこしだけ。
その「すこしだけ」を満たすように、埋めるように、熱と水に抱かれて、壁のライオンに自分を重ねた。
変わらない生活、変わらない自分。
でも今は、つらいとき、苦しいとき、寂しいとき、強くありたいとき、嬉しいとき、良いことがあったとき、そして何もないときだって、私はサウナを思い出せる。
そして、今日もサウナはいつも、ただそこにあって、そっとわたしの心に寄り添う。