2月18日は「嫌煙運動の日」。
1978年2月18日に「嫌煙権確立をめざす人びとの会」が設立され、本格的な嫌煙運動が始まったことがその由来とのことですが、そもそも「嫌煙」ってなんでしょうね?
「嫌煙」とは、受動喫煙を本人の可否にかかわらず強いられることについて異を唱えること、あるいは受動喫煙を避けること。さらには読んで字のごとく、タバコの煙や喫煙者を嫌うこと。
一部Webサイトには、そのような定義が載っていました。ふむ、「受動喫煙を避ける」「タバコの煙を嫌う」といった気持ちはよくわかるけれど、「喫煙者を嫌う」といった思想は、なかなか極端なような……?
【元・喫煙者の記者がタバコをはじめたきっかけ】
さて、現在は非喫煙者の記者(私)ですが、以前はタバコをたしなんでいました。
タバコを吸い始めたきっかけは、フランス映画などで見かける “女優さんがタバコを吸う姿” が、とてもサマになっていたから。父親も喫煙者でしたし、憧れる対象も喫煙者。だから自らタバコを吸い始めたのも、ごくごく自然な流れでした。
【止めるきっかけとなったエピソード】
それほどまでにタバコに好意的だったにもかかわらず、なぜ止めたのか。それは、超ヘビースモーカー&チェーンスモーカーだった友人から受ける受動喫煙によって、気分が悪くなってしまったから。
「煙はもう、お腹いっぱい」心底そう思ってからは、ピタッと禁煙。こうして喫煙をすぐに止めることができたのも、自分自身がさほどタバコに依存していなかったからといえるでしょう。1箱を消費するのに3〜4日かかる、その程度の喫煙者でしたからね。
【タバコを止めて、気になるようになったこと】
そうしてタバコを止め、非喫煙者となってから気になるようになったのが、次の4点です。
・歩きタバコによる受動喫煙が我慢ならない
・飲食店などで体や髪にタバコにニオイがつくことに、うんざり
・喫煙可の飲食店に入ると真っ先に、風下と風上を気にするようになった
・喫煙者か非喫煙者か、その人に近づくだけでわかるようになった
【歩きタバコしている人の、風下にいたくない!】
全面禁煙ではない飲食店なら、はじめから「喫煙可」とわかって入っているわけですからまあ仕方ないとして、歩きタバコによる受動喫煙の不快感は相当なもの。歩きタバコしている人を見かけると意地でも風上に行ってやろうと、今や、 “早歩きして抜かす” のが常となりました。
【タバコや喫煙者自体を批判するのはいかがなものか】
しかし。そういった “マナー違反” は批判すべき対象ですが、元・喫煙者だったからこそ、タバコを吸うという行為も喫煙者も、ともに否定する気は全く起きないというのが記者の本音。
近くに小さな子供がいるなどきちんとした理由があればまだしも、「吸わないで」という言葉は暴力に近しい、とすら思えてしまうのです。少々極端な表現ですが、それくらい、不条理な言葉なように感じられてしまうの。
【「喫煙=いけないこと」という発想の押し付けに違和感】
だから私個人としては、行き過ぎた「嫌煙運動」に対し全く賛成できません。ドラマや映画に出てくる喫煙シーンに対し「不適切」と糾弾するのも、先ごろWHOが各国に勧告した「喫煙シーンがある作品は成人指定に」という発想にも、首をひねらざるをえない。
健康に害があるとはいえ、それをふまえて喫煙するもしないも本人の自由。ですから、「喫煙はいけないこと」といった印象ばかり強調するのも、いかがなものかと思うのですよ。だって、他人に迷惑さえかけなければいい、ただそれだけのことなので。
【喫煙者は「マナーと配慮」を心に留めて】
喫煙者にとって大切なのは、マナーを守ることと、タバコを吸わない人に対する配慮。分煙という手段はそのひとつですし、「風下と風上に気をつけて座る」「喫煙してもいいか、ひと言断る」という気遣いがあるかないかで、印象も大きく変わるはず。
今日という日をきっかけに、今一度「嫌煙運動」について思いを巡らせてみるのも、いいかもしれませんね。
画像:ぱくたそ
執筆=田端あんじ (c)Pouch
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