今年で、デビュー10周年。しかしメンバー全員が歯科医としても働いているため、今なおそのプロフィールが明かされていない……そんな謎に満ちたミリオンセラー・アーティスト、GReeeeN。
メンバーのHIDEさんが、2016年3月3日(木)夜に放送されたTBS系『ニュース23』に声の出演を果たし、ネットを中心に話題になっています。
【原発20キロ圏内にあった遺体の検死作業をしていた】
東日本大震災、そして福島第一原発の事故が起こったあの日から、もうすぐ5年。
当時、原発の20キロ圏内から放射能を浴びた多くの遺体を見つけ出し、身元確認のため検死の作業に力を尽くしていた、警察官に自衛隊、そして歯科医師たち。そこに参加していた歯科医師の1人が、ほかならぬHIDEさんでした。
【当時抱いていた思い】
自分たちも被ばくするかもしれない。そんな思いもきっと、作業に携わったみなさんの心には、少なからずあったことでしょう。
「その時はみんな必死でしたから、警察官の方も自衛官の方も……この方を家族に会わせるんだと」
【ネットの声】
自ら福島県の被災地を歩き、当時について語ったHIDEさん。彼の言葉に心を揺り動かされた方は数多くいたようで、フェイスブックやツイッターには以下、さまざまな声が寄せられておりました。
「被災地でない方にとって、大震災は過去になってるのかも知れません。ニュースを観て、HIDEさんの言葉に今も変わらない現状を知り、当時の様子を知った方が多いと思います」
「私も阪神大震災経験者です。だからどこで地震が起こっても他人ごとではなくなりました」
「涙ダラダラ、鼻水グチョグチョになるほど泣きました」
「自分は被災者ではないのですが、5年が立ち、忘れかけてる事は否定できません。3.11だけでも、想いを馳せることを忘れないようにしたいと思います」
「改めて5年前の震災が大変だったかどんな想いだったのか、全国へ声が届いたと思います。本当にありがとうございました」
「深い話、とても伝わりました。私も色々と頑張ってみようと思いました」
「あの場所で被災したメンバーの行動を尊敬してました。これからも尊敬し応援していきたいです」
【被災地の子供たちが自分たちの楽曲を聴いていた】
2011年3月11日。あの日福島県にいたGReeeeNのメンバーは、皆それぞれが、被災者のひとりでした。
そうして地震が起きてから1カ月。家に戻ることができないでいる人、外で遊ぶことを禁じられる子供たち、追いつかない除染作業……。そんなときふとすれ違った小学校高学年くらいの女の子たちが口ずさんでいたのが、自分たちの楽曲『キセキ』だった。
このエピソードがつづられたGReeeeN初の単行本『それってキセキ~Greeeenの物語~』が、震災からちょうど5年後の2016年3月11日(金)、株式会社KADOKAWAより発売されます。
【4年に渡る取材の末、完成した1冊】
ドキュメンタリー作家・小松成美さんが4年もの歳月をかけて彼らを取材。メンバーの生い立ちやGReeeeN誕生秘話など、彼らが体験してきた “奇跡” と “軌跡” が、この本にはめいっぱい詰まっています。これを機に彼らに興味を持ったというあなたは、ぜひご一読を。
【3.11は衝撃的な体験でした】
福島県出身の記者(私)としては、HIDEさんが体験してきたこと、そのひとつひとつが決して他人ごととは思えず、話を聞いていて、あふれる涙を抑えることができませんでした。
地震や津波の、想像をはるかに超えた怖ろしさ。そして当時感じた、放射能の筆舌に尽くしがたい恐怖は、思い出すだけでも足がすくみます。
【あの日起きた出来事を忘れないで】
もうじき、3月11日。
HIDEさんの告白をきっかけにして、より多くの人々があの日のことを振り返り、今なお復興途中である被災地に思いを馳せてくれること。そしてほんの少しの間でいいから、あの日命を落としてしまった人々に対し祈りを捧げてくれることを、心から願ってやみません。
参照元:GReeeeN [オフィシャルウェブサイト、公式ブログ、公式Facebook、公式Twitter]、PR TIMES
執筆=田端あんじ (c)Pouch
▼震災直後の2011年5月に震災復興プロジェクト「Green boys Project」を発足したGReeeeN/その際、期間限定で無料配信された楽曲『Green boys』
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