最強のふたり
興行収入で『アメリ』を超え、フランス映画最大のヒット作と言われている『最強のふたり』のDVDが3月22日に発売&レンタル開始になりました。

心温まる作品なのですが、この作品についてアフリカ系フランス人(黒人)のアランさんに興味深いことを聞きました。彼は、この作品が黒人差別すぎて大嫌いだというのです。調べてみたら、アメリカの一部のジャーナリストもこの映画を「差別的だ」と酷評。そのためか、すでにアメリカではリメイクが決定しているそうなのです。

どこがそんなに差別なのかしら。アランさんに聞いてみたところ、その内容を知ることで、さらに作品が深く理解できると記者は考えましたので紹介します。(以降の内容は多少のネタバレを含みます。)

この『最強のふたり』は、首から下が麻痺した大富豪フィリップと、スラム街出身でフィリップの介護人になった黒人青年ドリスの友情を描いた作品です。実話を元にして書かれていますが、黒人ドリスとして描かれた人物は、マグレブ人と呼ばれる北アフリカ系の、アブデルという人物。

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エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督の言葉によると、マグレブ人アブデルを黒人ドリスにしたのは大きな理由はなく、フランスでは黒人もマグレブ人もまったく同じ状況に置かれているからだとか。ちなみにサッカー・ワールドカップ決勝戦で相手選手に頭突きをしたジダンもマグレブ人。黒人ははっきりと見た目でわかるけれど、マグレブ人はわからないことも多いので、より陰湿な差別がなされることがあるという人もいます。

【ステレオタイプな差別の描かれ方 】
アランさんによると、この作品にはかなりステレオタイプに人種差別の様子が描かれているとのこと。具体的にどんなところに描かれているか、一例を挙げてみましょう。

●警官の言葉「Tu」と「Vous」にみる黒人差別
冒頭の、ドリスがフィリップのマセラティ(高級車)を運転し、スピード違反をして警官に取り囲まれるシーン。フランス語をよく聞くと、興味深い変化があると、アランさんは指摘します。

まず、運転手が誰かを警官がわかっていない段階。警官は運転手に「Vous(=あなた)」という言葉を使って「外に出てきなさい」と敬語で呼びかけます。

しかし黒人のドリスが外に出ると、警官は態度を変え、「Tu(=おまえ)」という言葉を使います。この「Tu」という言葉、公の場で使う場合は、かなり侮蔑の色が強いそう。アランさんによると、これは警官の「この黒人がマセラティを持っているはずはない。強盗だ」という決めつけによるものではないかとのこと。

アランさんの指摘通り、警官はドリスが白人フィリップの代わりに運転していたということがわかると、再びドリスに対して「Vous」という言葉を使うのです。冒頭から差別意識が伝わる象徴的なシーンだと、アランさんは解説します。

●「ドリス」という名前
アランさんによると、この名前は黒人に多い名前とのこと。フランスでは就職活動に使う履歴書に写真を貼る習慣はありません。しかし、名前がアフリカ系だったり、北アフリカ系だったりすると、書類選考をパスすることは非常に難しくなるとのこと。フランスの白人風に改名すると急に書類選考の通過率が高くなるらしいのです。 (アブデルも、聞けばマグレブ人だとわかる名前です。)

アランさんは「ドリスが『就職活動をした企業から3件断られれば失業手当をもらえる。だから早く不採用の証明書をよこせ』と言ったのは、彼が怠け者だからという理由だけではないはずだ。そこには圧倒的な名前による不利益と、就職を諦めてしまっている黒人の状況がある。それを、怠け者のように見えるように描いている」と語ります。

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●白人像と黒人像が典型的すぎる
白人のフィリップがクラシック音楽を好み、手紙に詩をしたため、ブルジョアなのに対し、黒人のドリスは移民、前科者、手癖が悪く、アース・ウインド&ファイヤーやクール&ザ・ギャングを好む……。あまりにコテコテで「いかにも、すぎる」とアランさんは言います。当たり前ですが、実際には白人のブルジョアだってクール&ザ・ギャング好きはいるでしょうし、黒人移民にもクラシック好きはいるのです。現にアランさんはかなりのクラシック好きです。

●描かれている人種による棲み分け
アランさんは、また「それぞれ場面で、映り込んでいる人種をよく見てほしい」と言います。フィリップの住んでいる環境にはアジア系も黒人も北アフリカ系もいません。一方、ドリスの住んでいる地域は白人は非常に少なく、黒人やマグレブ人が多い状況。さらに、セックスワーカーにはアジア系の女性しか出てきません。つまり、人種による棲み分けがきっちりと行なわれている状況がこの作品には描かれているというのです。

このように、あまりにもコテコテの、差別の様子が描かれているとアランさんは指摘します。

しかし、記者はアランさんの指摘を踏まえて再度映画を見たところ、以下の点でもステレオタイプな描かれ方がされていると気付きました。

●障害者へのあからさまな偏見
ドリスが介護人として就職活動をしている際の、他の候補者の言葉。「(障害者は経済的に大変なはずだという思い込みによる)住宅手当ももらえますよ」「障害者を助けることが好きなんです。だって良いことでしょ」などと、目の前のフィリップその人を見ようとせず、「フィリップ=障害者」という枠に押し込めて接している姿が描かれています。

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【監督はコテコテの差別を狙って描いたのかもしれない】
実は、モデルとなったフィリップとアブデルの様子は、YouTubeなどにも公開されています。その様子を見ると、フィリップの家で働いているのは白人だけではない様子。また実際のスラムと言われる公共住宅には黒人やマグレブ人だけではなく、東欧系の貧しい白人もたくさん住んでいる、とアランさんは言います。

ではなぜ、監督はわざわざ差別的な状況を描いたのでしょうか。もし監督が本当に差別的な気持ちでそういった状況を描いたのだとしたら、ドリスがフィリップの家で生活を始めた時に、白人にいろいろと差別的な扱いを受けている様子を書いたのではないでしょうか。しかし、作品中のドリスはフィリップの家で働く白人たちと実にうまくコミュニケーションをとっているのです。何か、監督の意図を感じないでしょうか。

【原題「Intouchables」の意味 】
原題の「Intouchables」は英語ならUntouchables。直訳すると「触れることのできないものたち」であり、意味は「社会ののけ者たち」「非難の余地のないほどすばらしいものたち」「不可触賤民(差別をされる立場の人)たち」などとされています。

この原題の「Intouchables」=「触れることのできないもの」とは、

●障害を抱えるフィリップやフランス社会からはじき出されそうな黒人ドリスをさして「社会ののけ者」「差別される立場の人たち」
●誰が入り込むこともできない二人の関係を指して、「避難の余地のないほどすばらしい者たち」
●「黒人(および北アフリカ系)社会」と「ハイソな白人社会」の決して交流することのない状況を指して、「触れることができないものたち」

を指している “だけではない” のかもしれないと思えてきます。

監督がこのタイトルに込めたのは、「差別を、“触ってはいけないもの” として決めつけている状況」ではないでしょうか。

社会学者の好井裕明さんは『差別原論』の中で差別というもの自体に鋭く切り込み、「差別は『起こってはならないもの』ではなく『起こってしまうもの』として捉えるべきだ」と主張します。そして、人は当事者でない限り、差別は自分とは関係ない遠い世界のものだと考えることが多いが、そうやって差別を「自分とは関係のないもの」と捉えること自体が個々の差別をなくしていく営みを妨げていると言うのです。

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この好井さんの主張を踏まえると、以下のシーンも、単なるブラックジョークや心の交流といった意味だけではないものに見えてきます。

●ドリスがフィリップに「これは健常者用のチョコレートだ! 障害者は食べられない」と冗談を言ったり、雪玉を投げ返せないのを知りつつフィリップにドリスが雪玉を投げつけたりするシーン。
●ドリスがフィリップに「俺なら自殺するね」と言い、フィリップが「障害者には無理」と返事をするシーン
●「いちばん辛い障害は彼女の不在だ」とフィリップがドリスに打ち明けるシーン
●ドリスがフィリップの誕生日会で参加者とダンスを踊るシーン
●ドリスが就職活動をきちんとしているシーン

「障害者」、「黒人」というカテゴリーに押し込まれていたフィリップやドリスが、人間としていきいきと語り、タブーなく交流し、人種の壁を諦めずに就職活動をしたり、障害にこだわらずにデートをしたりといった形で自分自身もそのカテゴリーから飛び出していく姿は、実に見ていて爽快で感動的です。

この映画は見る人に、どのような相手に対しても「触れてはいけないもの」として距離をとるのではなく、人間として関わっていくべきだと訴えかけているのではないでしょうか。 読み込みすぎかもしれませんが、このように考えると、この作品が単に理想を語っているだけだとは思えず、さらに味わえるかもしれません。

※「障害」の表記は、映画の字幕に準じています。

(文=SayakaFelix

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