フジロック

私がフジロックフェスティバルの存在を初めて知ったのは、高校1年生のとき。当時は夏フェスはおろか、野外フェス自体かなりマイナーな存在。日本の野外ロックフェスの先駆けだったフジロックに、ロック大好き少女だった私は強く惹かれていったのです。

フジロックの第1回目の開催は1997年、山梨県富士天神山スキー場が会場でした。この時は台風が直撃し、豪雨でトラブルが続出。翌年は場所を変えて東京・豊洲で第2回目が開催され、2日間で約7万人近くのお客さんが集まりました。

3年目からは新潟・苗場スキー場が会場になり、3日間開催の現在に近いスタイルに。そして今年2016年、20回目の開催を迎えたのです。

【田舎の女子高生が勇気を振り絞ってフジロックへ!】

私にとっての初フジロックは、唯一の東京開催だった第2回目。

第1回目の壮絶さを、音楽メディアのレポートなどを通じて知っていましたし、「暑さに耐えられるのか」、「海外のフェスのように、全身が泥まみれのドロドロになってしまうのではないか」、「襲われることはないのか」などなど、さまざまな不安を抱えながら、私は女友達とたった2人で福島県から上京。ほんの少しの恐怖と緊張、そしてそれをはるかに超えるワクワクを抱えながら会場に向かったのは、今ではいい思い出です。

実際はドロドロになることも襲われることもなく、目の前で繰り広げられている光景に、ただただ胸を熱くするばかり。行きと帰りに利用した地下鉄のホームに漂っていた独特な匂いが、私の初フジロックの記憶となって強く心に残っています。

【20代前半の私「フジロック=サバイバル」】

フジロックの開催場所が苗場スキー場に移ってからは、友人や恋人と一緒に、時にはたった1人で、毎年のように足を運びました。友人数名とレンタカーを借りたり、テント持参でキャンプをしたり。

はたまた思いつきで、なんの準備もせずにお金とわずかな荷物だけ持って新幹線に飛び乗り、新幹線の中で友人を作って宿を確保した、なんて経験も。このときの私の足元はサンダル。冷たい雨が降ったのですが、当然、長靴は持っていなかったため、寒さが身に沁みたのでした……。

そして帰りは、偶然見つけた知り合いに頼んで車に同乗させてもらうなど、完全なサバイバル状態。いま思えば、無鉄砲すぎる!

【朝まで遊んで、始発の新幹線で帰ったことも】

また別の年はフジロックに行かないと決めていたのに、最終日を迎えたその日になって急に行きたくなり、やはりほとんど身ひとつで、たった1人で新幹線へ乗車。会場で当日券をゲットして、現地にいた友人たちと合流。そのまま朝5時まで遊んで、始発の新幹線で東京に帰る、なんて無茶もしたっけ……。いやはや、本当にあのときは若かった。

【出会いもたくさんありました】

フジロック会場ではさまざまな出会いがあって、顔触れは日本人から外国人まで、実にバラエティーに富んでいました。彼らとは友人になったり、あるいは開放的な気分になっているからか、そのまま恋愛関係に発展することもしばしば。

外国人男性に「僕はこのままアメリカに帰るから、見送りにきて。最後にデートして」なーんて言われたこともあったなぁ。行かなかったけど。もし行ったら人生、変わってたかな!?

【フジロッカーはフジロックと一緒に大きくなった】

私とは違い、中には「フジロックで出会い、恋に落ちて結婚した」という方は少なくないようです。恋人時代も、結婚してからも、子供が生まれてからも、ずっとフジロックへ遊びに来ているという声も多く耳にします。

お客さんの年齢層が徐々に上がっている気がするのは、そのせいもあるのかもしれません。魅力にハマった多くのフジロッカーが、フジロックとともに成長し、人生を歩んでいる、ということなんでしょうね。

【会場にいることが楽しい】

「どんなアーティストが来ようが、ぶっちゃけそこには興味はない。ただ会場にいること、それ自体が楽しいのだ!」

コアなフジロックファンのマインドは、往々にしてこんな感じだと思います。1年に1度のビッグなお祭り、非日常的な時間が、私を含め多くのファンにとって長年の心の支えになっていることは、言うまでもありません。

「夏フェス」が日本に定着し、私にとって毎年の恒例行事となったフジロックですが、もはや辞め時がわからなくなっています。はてさて来年はどうすることやら。今は乗り気でなくともきっと開催直前になったら、また行きたくなっちゃうんだろうなぁ。フジロック沼、おそるべし!

参考リンク:フジロックフェスティバル
撮影・執筆=田端あんじ (c)Pouch