黒柳徹子さんといえば、たまねぎ頭がトレードマーク。これまで髪をおろした姿を一度も見たことがないという人も多いのではないかしら? もうあのヘアスタイルも込みで「ザ・黒柳徹子!」って感じがしますよね。

そんな徹子さんが、2018年5月29日にインスタグラムに投稿したのは髪をおろした姿の画像! 40代半ばのころではないかとのことですが、ツヤツヤのセミロング、強い眼差し、華やかな洋服とあいまって非常にお美しい。これは思わず見とれてしまう~っ!!

【レアすぎるダウンヘアスタイル】

投稿した写真に黒柳さんは

この写真は、40代半ばかな?「ザ・ベストテン」の司会をやってた頃です。「ザ・ベストテン」は、黒いランキングボードに、白い文字がバタバタ回って地味なので、華やかなお洋服を着て欲しいとのことで、毎週、色を意識したイヴニングを着てました。このイブニングは、「ザ・ベストテン」でも着た、森英恵先生に作っていただいたものです。

とコメント。なるほど、大きな花柄がひときわ目を引く艶やかな衣装を着ているのにはそうした事情があったんですね! 当時『ザ・ベストテン』を見ていた世代にとっては、知れてうれしいエピソードかも。

【ときどきアップされる若き日の写真にも注目!】

それにしても徹子さん、まるでモデルを思わせるかのようなたたずまい! こうして見ると、お顔が小さくて全身のバランスがいいことがわかります。パッツン前髪に肩までのセミロングヘアも艶やかで、まさに日本人形のよう! このころに画像修正ソフトなんてないですから当然、加工もナシ。ナチュラルにこの美しさなのには恐れ入ります。

チャーミングな投稿でインスタグラムでも多くの人々を魅了している黒柳徹子さん。こんなふうに、ときおり若いころの写真もアップしては、私たちを楽しませてくれます。少し前にもパンクなTシャツ姿を披露していたし、目が離せませんね!

参照元:Instagram @tetsukokuroyanagi
執筆=鷺ノ宮やよい (c)Pouch

▼インスタではほかにも若き日の姿を見せてくれています

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お昼のドラマ「トットちゃん!」で、ちょうど今、放送してる、私がNHKに入った頃の写真です。 先週のドラマに出てきましたが、NHKの研修時代に、先輩の俳優が、私達研修生を集めて「いいか、覚えとけ。蹴落とさねえ奴は、蹴落とされるんだ」と、言われました。 それを、聞いて、私は、1リハ(第1リハーサル室)の壁を蹴って、泣いた。 絵本を上手に読んであげられるお母さんになりたくて、NHKの試験を受けたのに、 そんな、人を蹴落とさなきゃ、やれない仕事なんて絶対に嫌だ! 私は、人を蹴落としたりなんかしない。 そんな事までして、女優になんかなりたくない! そう、思った。 それから、63年間。 私は、ここまでやってきました。 考えてみると、自覚はしなくても、誰かを蹴落として、ここまで、やって来たのかもしれないのです。 でも、少なくとも、私は、誰かを蹴落とそうなんて、思わないで、ここまで、仕事をして来れたことに、感謝しています。

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この写真は、私がニューヨークに、住んでた38歳の時のもの💕 この頃は、こういうファッションが流行ってたんだけど、今、見るとかなりの露出ね! ニューヨークに行くのを決めたのは、30代半ばくらい。 私は、実家で暮らして、実家から仕事場に通っていた。それまで、家事を、一切したことがなかった。 「私、このままの状態で、芸能界の仕事をし続けたら、何んにも、知らない大人になっちゃうなぁ!」と考えてた。 日本でも、文学座で2年、演劇の勉強はしてました。 舞台の仕事を、たくさんするようになったら、「やっぱり、本場、アメリカのブロードウェイで、演劇の勉強をしたい!」と思った。 2〜3年かけて、仕事もコマーシャルも全部やめて、ニューヨークに渡った。 一人暮らしの、何もかもが、始めての経験で、毎日が楽しかった💕 この写真は、演劇学校の同級生に、自分のアパートでランチをご馳走して、お皿を洗ってるところです。

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この写真は、戦争中に青森県三戸郡という所に、疎開していた時の私です。 お昼のドラマ「トットちゃん!」では、ちょうど、先週放送していた頃ぐらいです。 この写真を見て、「かわいそうに、随分緊張して暮らしていたんだね」と、言ってくれた人がいました。 夜になると、空襲や爆撃のある東京から逃れて、知り合いを訪ねて、青森に疎開。 父は、出征して兵隊になり、どこに行ったのかも、分かりませんでした。 確かに、私は、緊張して生活していたのかもしれませんね。 このセーラー服は、従姉妹から貰った、私の一張羅でした。 それまでは、横分けの髪に大きいリボン。母の手作りのかわいい洋服。そして、白いハイソックスに、黒いエナメルの靴。 お洒落をするのが、大好きでした。 そういう格好から、戦争になると、東京から持っていった洋服も、ボロボロになってしまい、足は、どんどん大きくなって、お気に入りの靴は入らなくなりました。 従姉妹に貰った、このセーラー服にモンペのズボン、そして、下駄というのが、私の唯一のよそゆきでした。

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お昼のドラマ「トットちゃん!」のお話でもでてきた、パンダのぬいぐるみをくれた、叔父の家の前で撮った写真。 この頃としては、めずらしいモダンな、ミニのワンピース。母の、手作りです💕 抱いてるのは、クマのぬいぐるみ。 私は、ぬいぐるみが、大好きで、いつも、ぬいぐるみを離さなかったそうです。 この持ってるのとは別の「大きなクマのぬいぐるみ」も、持っていました。 それは、当時、私の父は、ヴァイオリンの最優秀演奏者として、賞を受賞したこともあって、清朝最後の皇帝、「ラスト・エンペラー」と呼ばれた溥儀に招待され、皇帝の前で、演奏することになりました。 父が、満州に行く前に、「トット助、おみやげは、何がいい?」と、聞いてくれたので、私は、「クマのぬいぐるみ!」と、答えました。 何日か経って、父が、帰国した時、ヴァイオリンのケースと、それよりも大きなクマのぬいぐるみを、持って帰ってきました。 それまで、見たこともない、大きくて、可愛いクマのぬいぐるみ💕 とっても、嬉しかったです。 私の、大切なものになりました。 戦争が始まり、父も出征し、東京が、いよいよ、危なくなってきたので、残された家族は、青森に疎開することになりました。 私は、父からもらった、そのクマのぬいぐるみを、疎開先に絶対に持って行きたかったのだけど、母に「そんなに大きな物を、持っていたら、汽車には乗れないのよ」と言われて、泣く泣く諦めて、父がいつも座っていた、アームチェアーに、座らせて、家をでました。 東京の家が、「焼けた!」と聞いた時、真っ先に思い出したのは、その父の椅子に座った、クマちゃんでした。 ちょうど、今週のドラマ「トットちゃん!」で、その頃のお話をやっいてますね。

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