【最新公開シネマ批評】
映画ライター斎藤香が現在公開中の映画のなかから、オススメ作品をひとつ厳選して、ネタバレありの本音レビューをします。

今回ピックアップするのはアカデミー賞作品賞候補にもなった映画『バイス』(2019年4月5日公開)です。“バイス”とは「副」という意味で、本作の主人公、ディック・チェイニー副大統領のこと。このチェイニーの成り上がりっぷりがスゴイんですよ! 政治の世界で権力を握っていくプロセスを笑いもたっぷりに見せていく映画『バイス』。では物語から。

【物語】

名門イエール大学の学生でありながら、酒浸りの毎日を送った挙句、大学を中退した若きチェイニー(クリスチャン・ベール)。そんな彼を変えたのは才女の恋人リン(エイミー・アダムス)でした。彼女に激しく罵倒されたチェイニーは「2度と君を失望させないよ」と誓い、意を決してワシントンD.Cで連邦会議のインターシップに参加。ここで共和党のラムズフェルド下院議員に気に入られ、議員の元で政界で生きるノウハウを学び、副大統領までのぼりつめ、やがてはホワイトハウスを乗っ取ってしまうのです。

【実に分かりやすい政界成り上がりストーリー】

一応、社会派映画という括りになると思いますが、本作はとてもわかりやすい強烈なブラックコメディ。チェイニーはアメリカの為に懸命に働く政治家ではなく、政治を意のままに転がすことを楽しんだ男。だから彼の成り上がりのプロセスはまるで人生ゲームのようなのです。

いちばんの見どころは、チェイニーがかつて従えた元ブッシュ大統領の息子ジョージ・W・ブッシュと出会い、副大統領になってから。ジョージがダメ男だと見抜き、彼を意のままにコントロールし、9.11の同時多発テロ発生後、イラク侵攻を決行する決断をブッシュ大統領にさせたのです。まさに影の大統領!

【笑いの裏に横たわる怖さ】

チェイニーはブッシュの影で国民もコントロールしていたことがこの映画を観るとわかります。憲法や国際法を都合のいいように拡大解釈をして、国民を情報操作してきたのです。

アダム・マッケイ監督のテンポのいいコミカルな演出のおかげで、政治の裏側を楽しく見られるのですが、同時に背筋が寒くなりましたよ。真摯に世界の平和や国民のために動くトップではない場合、こんな風に憲法がおかしな解釈をされ、気が付いたら多くの命を失うことにもなるのだと。ちょっとシャレにならない感じもします……。

【チェイニーを操る妻の凄腕】

影の大統領と言われたチェイニーですが、意外にも家庭では良き夫、良き父でありました。彼が愛してやまない妻のリンは、酒浸りのチェイニーを立ち直らせ、夫が病に倒れたときは代役として選挙キャンペーンで活躍し、夫が弱気になるとハッパをかけて……とチェイニーをコントロールしていたのです。

彼にとっては良妻でしょう。でも夫の過ちに気づかないところは、リン自身も政治の魔力に落ちていたのかもしれません。

【クリスチャン・ベールの原形をとどめない変貌】

チェイニーを演じるクリスチャン・ベールは、役に合わせて肉体改造することで有名ですが、今回はパイや卵を大量に摂取して、半年で約20キロ増量。髪も剃ったそうですよ! 肉体改造とメーキャップで人の風貌ってこんなに変われるんだと驚きです。もちろん声の出し方、立ち居振る舞い、癖など、細部にわたるベールのチェイニー研究の成果の賜物が名演に繋がっているのですけどね。

とにかく実在する政治家をここまで突っ込んで描けるのはアメリカ映画ならでは! ちなみにマッケイ監督はチェイニー氏の許可を取らずに映画化したそうです。

「彼の了承を得たら、彼が内容に口を挟む権利を得てしまう。それではただの伝記映画だ。我々は膨大なリサーチを行い、事実を入念にチェックして映画化したんだ」

自由の国アメリカらしい、いいなあ、日本でもこういう映画作れるようになってほしい~と思わずにいられない映画『バイス』。必見ですよ。

執筆=斎藤 香 (c)Pouch

バイス
(2019年4月9日より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー)
監督:アダム・マッケイ
出演:クリスチャン・ベール、エイミー・アダムス、スティーヴ・カレル、サム・ロックウェル、タイラー・ペリー、アリソン・ピル、ジェシー・プレモンス