私が中学3年生のとき、学校の近くで生まれて間もない黒い子猫を見つけました。

「1日くらいなら連れて帰ってもいいって」という母親に電話で確認していた子もいたけど、なぜか私は片手に収まるほど小さいその黒いモグラのような子猫を自分のタオルハンカチで包み、「うちで飼うから大丈夫!」とそのまま家に連れて帰りました。

誰にも見つからなければこの日を生き延びることができなかったかもしれない、この黒猫がその後どうなったかというと、我が家のアイドルとして17年と11ヶ月の猫生を全うしました。

【黒いモグラのような子猫時代】

もちろん、飼う飼わないで両親にめちゃくちゃ怒られた私ですが、結果うちの家族は子猫を迎え入れることに。

よほどの強運を持っているに違いない黒猫は「のあ」と名付けられ、かぎしっぽがチャームポイントの可愛い猫に成長しました。

【いつも真面目な顔で、慎重で、やきもち焼き】

満月のようなまんまるい瞳はいつも真面目な表情で、興味をそそられるものがあっても簡単には手を出さない慎重さがあって。

でも私があんまり母とばかり話をしていると、「ちょっと、のあ のこと忘れてない?」と間に割り込んでくるようなやきもち焼きの猫です。

【もう立ち上がれないのに…側にいたくてよじ登る】

実家の両親から「のあが立ち上がれなくなった」と連絡が入ったのは去年の3月。

家の中で一番日当たりがいい、お気に入りのソファーで寝ていたのあのお腹はすでにぺったんこになっていて、爪は出たまま。自力で立ち上がることも、寝がえりをうつこともできません。

寝るときはいつも母側のベッドのまくらの横が定位置でしたが、落ちたらいけないからと床に寝床を作ってやると、最後の力を振り絞ってベッドに這い上がってきました。夜は父と母の間で撫でてもらいながら寝たかったようです。

【のあ、最期の3日間】

最期の3日間、のあは子猫時代に戻ったかのように、一通りお世話をさせてくれました。自力で立てないけど、両側を支えてあげればトイレでおしっこもできたし、大好きな洗面台の流れるお水も家族総出で支えてもらいながら飲めました。

17歳という年齢は猫、特にオス猫にとっては大往生と言える年齢。大きな病気もなく老衰で天寿を全うしたのあの死に方は100点満点です。

【たくさん黒猫がいても、もうのあはいない】

それでも、飼っていた猫が虹の橋へ渡ってしまうことはどんなだって悲しい。今でも、家の近くの路地裏で、SNSで、たくさんの黒猫を見ます。のあによく似た黒猫もいます。

なのにのあと同じ猫はもうどこにもいない。そんなの当たり前なのに、ときどき私はその事実にびっくりしてしまう。

【後ろ蹴りの傷跡ですら愛おしい思い出】

ただ、こんな悲しい思いをするくらいなら猫なんて飼わなきゃよかったとは絶対に思えないんです。だって、のあと暮らした日々は本当に楽しかったし、猫がこんなに可愛い生き物だって教えてもらえたから。

あの日、誰にも見つからなければ生き延びられていない命だったのあは、17年も生きれて果たして幸せだったか。それは本人(のっちゃん)に聞いてみないとわかりません。

でも私たち家族はのあと暮らせた17年間は本当に幸せでした。あと3週間頑張れば18歳になれたのに、おばかさん。ちょっと休んだら、またいつでも戻っておいでよね。

執筆=黒猫葵 (c)Pouch